メディア論解説(その6)うわさというメディア(2)

メディア研究

前回はうわさの特徴と研究について解説しました。うわさが広まる要因となる「もっともらしさ」と「仲介者との親密性」、この2つの要素に特に注目しながら実際に発生したうわさの事例を見ていきます。

うわさの事例とその解説

ここではこれまでに発生したうわさの事例を紹介するとともに注目すべきポイントを解説します。事例の概要、背景、注目すべき点の順にそれぞれ説明していきます。

事例1:うわさと取り付け騒ぎ

取り付け騒ぎとは何か、まずは事典で見てみましょう。

預金を受け入れている金融機関の窓口に,預金者が預金引出しを求めて一時に殺到する状態。国民経済が平穏に進行しているときは一般大衆の金融機関に対する信用は強固であるが,不況深化ないし企業倒産多発時などにおいて,金融機関とくに小規模な金融機関の経営が不健全ではないかとみなされて,その信用が揺らぎ,預金者は資産の安全を求めて預金引出しに走ることとなり,取付けが起こる。

世界大百科事典. 第2版.

取り付け騒ぎは不況や企業の倒産時に金融機関に対する信用が落ちることで発生するものですが、信用低下を引き起こすのは不況や倒産だけではありません。うわさが原因で金融機関の信用が落ちることで取り付け騒ぎにつながることもしばしばあります。ここでは、取り付け騒ぎとして3つの事例を解説していきます。

1. 金融恐慌を引き起こした失言と取り付け騒ぎ

1927年3月14日、議会では関東大震災のための震災手形の処理法案を審議していました。その中で片岡直温蔵相がある失言をしてしまいます。それは「 現に今日正午頃に於て渡辺銀行が到頭破綻を致しました、是も洵(まこと)に遺憾千万に存じますが・・・ 」という発言です。確かに震災手形を抱え不安定な状態でしたが、この時点ではまだ倒産してはいませんでした。しかし、この失言が報道などで広まったがために渡辺銀行には預金者が押し寄せ取り付け騒ぎとなりました。渡辺銀行は休業になりましたが、影響はそこだけにとどまらず他の銀行の信頼も低下させ各地で取り付け騒ぎとなり休業する銀行が相次ぎました。

2. 豊川信用金庫取り付け騒ぎ

1973年12月、愛知県の宝飯郡小坂井町(現 豊川市小坂井町)を中心に「豊川信用金庫が倒産するらしい」といううわさが流れました。事の発端は女子高校生3人組の何気ない会話でした。簡単に流れを確認します。

豊川信用金庫に就職が決まっていた女子高校生のAさんを、友人のBさんとCさんがからかいます。

B, Cさん:「信用金庫なんて危ないよ」(経営的な意味ではなく強盗が入るという意味で危ないということ)

BとCのほんの軽い冗談でしたが、Aさんは帰宅してから親戚のDさんにこう尋ねます。

Aさん:「信用金庫って危ないの?」

それを聞いた親戚のDさんは、Aさんの就職先の豊川信用金庫の話だと思い、豊川信用金庫本店の近くに住む親戚Eさんにこう尋ねます。

Dさん:「豊川信用金庫は危ないのか?」

親戚のEさんは豊川信用金庫に勤める知り合いから「危なくない」ということを確認しました。そして、それを親戚のDさんにも伝えます。
しかし、親戚のEさんは知り合いに確認する前に行きつけの美容院のFさんにこう話していました。

Eさん:「豊川信用金庫って危ないらしいわ」

美容院のFさんがその親戚Gさんに「豊川信用金庫が危ないらしい」という話をした際に、クリーニング店のHさんもこの話を聞いていました。そして、Hさんの妻Iさんにもこの話は伝わります。

この頃から町では「豊川信用金庫は危ない」といううわさが話題となっていました。そんな中で事態を進展させる出来事が起こります。

クリーニング店を経営するH,I夫婦のところで電話を借りたJさんという人が電話口でこう指示しました。

「豊川信用金庫から120万円引き出してくれ」

Jさんは単に仕事の都合でお金を下ろす必要があっただけでしたが、それを聞いていたIさんは「いよいよ豊川信用金庫が倒産する」と勘違いしました。そして、Iさんは豊川信用金庫から預金を下ろし、H,Iさんは知人にこの話をして回りました。その結果多くの人が銀行に押しかけ、取り付け騒ぎとなりました。

最終的には警察がこのうわさの伝播ルートを解明し、メディアが報道したことで徐々に鎮静化していきます。

3. 佐賀銀行チェーンメール取り付け騒ぎ

2003年12月25日深夜2時頃、このようなチェーンメールが出回ります。

緊急ニュースです! 某友人からの情報によると26日に佐賀銀行がつぶれるそうです!! 預けている人は明日中に全額おろすことをお薦めします(;・_・)一千万円以下の預金は一応保護されますが、今度いつ佐銀が復帰するかは不明なので、不安です(・_・) 信じるか信じないかは自由ですが、○○(メールを送った本人の名)は不安なので、明日全額おろすつもりです! 松尾建設は、もう佐銀から撤退したそうですよ! 以上、緊急ニュースでした!!素敵なクリスマスを☆彡

このチェーンメールは瞬く間に広がり、25日の昼には佐賀県内の支店で預金を下ろす人が増え始めました。夕方にはさらに混乱が広がりATMコーナーにも長い列ができました。

佐賀銀行も事態の異変に気が付き、取り付け騒ぎの原因となったメールを確認し、警察署に相談しました。18時頃には記者会見を開き、ここでメールの内容を全面否定しデマであることを訴えました。また、 財務省福岡財務支局も25日夜にコメントを出し「悪質な電子メールにあったような事実は全くなく、銀行の経営内容、健全性、資金繰りは問題ない。預金者には冷静な対応をお願いしたい」 と呼びかけます。

この取り付け騒ぎによりATMに並んだ人の列は一時200人以上にも上り、総額500億円の預金が下ろされました。また、この騒動で連絡を取り合う人が増えたためか、佐賀県内全域で携帯電話が繋がりにくい状態になったこともこの騒動の大きさを物語っています。

騒動自体は大きなものとなりましたが、銀行側の冷静な対応や財務省の緊急コメント、そしてメディアの報道により翌日には取り付け騒ぎは落ち着きました。

また、佐賀銀行が信用毀損罪で刑事告訴したため、警察はチェーンメールの出所を調査し始めました。そして、デマメールの発信元である20代の女性にたどり着き書類送検となりました。

取り付け騒ぎにみるうわさの特徴

ここまで3つの取り付け騒ぎについて概要を説明してきました。どの取り付け騒ぎも、小さなうわさが膨らんで大きな騒動につながったということがわかると思います。1927年の取り付け騒ぎは蔵相の失言がきっかけでしたが、騒ぎが騒ぎを読んで大きな騒動となりました。1973年の豊川信用金庫の騒ぎ、そして2003年の佐賀銀行の取り付け騒ぎはうわさが原因で発生したものです。

皆さんはこのうわさと騒動についてどう感じどう考えますか?「こんなうわさに惑わされるなんてありえない」「騙される人はバカだよね」「冷静になればわかること」と思うでしょうか。それとも「うわさは怖い」「騙されても致し方ない」「当事者だったらパニックになるかも」と考えるでしょうか。

事例を後から検証してみると、どのうわさも根拠のない事実とはかけ離れたものばかりです。時代背景として、1927年は関東大震災後の打撃が残り、1973年はオイルショックによる混乱、2003年の佐賀銀行の件では取引先の大手建設会社のリストラ騒動、またひと月前の足利銀行の破綻など社会的な不安はありました。しかし、メディアなど公式の発表もなければ情報元も証拠もわからないうわさに多くの人が動かされました。

ここで考えたいのは、「騙されるなんてバカだ」と簡単に言えることなのか、そして全員が全員うわさを本気にしていたのかということです。

うわさに騙される人はバカなのか

うわさというのは各個人に都合の良い解釈がなされます。豊川信用金庫の事件でいえば、Jさんが120万の金を下ろすのをみてIさんは「豊川信用金庫がつぶれるからJさんはお金を下ろしているんだ」と都合よく解釈してしまったわけです。そして、その都合の良い解釈は連鎖していきます。やがてそれはうわさ(豊川信用金庫が破綻するらしい)ではなく“真実”(豊川信用金庫が破綻する)となるのです。“事実”となったうわさを信じてしまう人がいるのはもはや致し方のないことなのです。これを「騙されている人はバカだ」と片付けるのは少々短絡的過ぎるのではないでしょうか。

そして、誰しもが本気でうわさを信じて行動していたのかということも考える必要があります。新聞記事を見てみましょう。1973年12月15日付けの朝日新聞では「5000人、デマに踊る」という見出しで豊川信用金庫の取り付け騒ぎを報じています。その記事の中に注目すべきコメントがあります。

約五百万円全額を引き出しに来たという商店主(四五)。「デマだとは思うが一応おろします」。また、ある主婦(三八)は「こんなにみんながつめかけて騒いでいるのをみると、とても安心して家へ引き返せない。みんながこの信用金庫が危ないというし、やっぱり引き出します」と行列に並んでいた。

『朝日新聞』1973.12.15 朝刊

誰もがこのうわさを本気にしたのかというと決してそうではありません。それでもあえて行動してしまうのは「万が一」「念のため」というリスク回避の考え方があるからなのです。リスク回避のために預金を下ろすという行動それ自体は非常に合理的です。また、騒ぎが実際に起きているのをその目で見た上で「これはデマだ」と判断する方が難しいというのは想像に難くありません。

用心するに越したことはありません。うわさに騙される人はバカだと単純に片付けることはできないのです。

「事実」になるうわさ:予言の自己成就

うわさはもう一つ恐ろしい特性を持っています。それはうわさを現実にしてしまう力です。アメリカの社会学者マートンはこれを「予言の自己成就」と名付けました。

たとえ根拠の無い予言(噂や思い込み)であっても、人々がその予言を信じて行動することによって、結果として予言通りの現実がつくられるという現象のこと。

ナビゲート ビジネス用語集

この予言の自己成就が起きたのは、1927年の取り付け騒ぎです。片岡蔵相の失言時には破綻していなかった渡辺銀行ですが、取り付け騒ぎが起こりそれが原因で本当に破綻してしまいました。1973年、2003年の取り付け騒ぎでは本当に破綻してしまうまでには到りませんでしたが、うわさは「うわさを現実にする力」を持っているのです。

うわさの仲介者との関係

また、前回(https://uenashi.com/explanation-of-media-5)うわさについて押さえておきたいポイントとして、「仲介者との親密性」がうわさに信頼性を与えるという話をしました。この取り付け騒ぎでも仲介者が与える影響が強く出ていたことを示すアンケート結果があります。

預金していた五百五十一人について、どのような立場や条件が取り付け行動を促進するように働き、あるいは逆に押しとどめたかを、二十二項目の質問をして分析した。・・・(中略)・・・「うわさの確認」では、「家族に聞いた」場合は、引き出しに走り、「役所に確かめた」場合は、引き出さない方に大きく働いていることがわかった。

『朝日新聞』1981.1.5 夕刊

この豊川信用金庫の取り付け騒ぎに関する調査結果で注目したいのはうわさを誰に確認したかでうわさの信頼度が異なるということです。家族に確認した人はうわさを信じて預金を下ろしに行きましたが、役所に確認した人はうわさを信じませんでした。

これはまさに仲介者との親密性が関係しています。家族は身近な存在であり親密な関係です。親密な人の意見というだけで無批判に信頼性が加算されるため、うわさを信じることにつながります。内容そのものよりも、誰が言ったのかという点が重視されるのです。

事例2:関東大震災の朝鮮人虐殺事件

1923年9月1日午前11時58分、神奈川県を震源としたマグニチュード推定7.9の地震が発生しました。神奈川、東京、千葉では震度6の地震を記録し、死者・行方不明者は14万3千人という甚大な被害を受けました。大地震の発生で社会が不安定な状況にある中で、とあるうわさが流れます。

「朝鮮人が震災に乗じて放火した」「井戸に毒薬を投じた」「暴動を企てている」等

このうわさを聞いた人々は自警団を結成し、朝鮮人を殺害し始めます。1910年に韓国併合が行われ多くの朝鮮人が日本で働いていました。朝鮮人は日本社会に溶け込んでおり身近なところにいるなかで、日本人と朝鮮人との見分け方として例えばこんな方法が用いられました。

「歴代天皇が言えないのは朝鮮人だ」「日本人なら教育勅語の暗唱ができるはずだ」

考えてみれば当たり前ですが、日本人なら誰でも歴代天皇が言えるわけでも教育勅語の暗唱ができるわけでもありません。ましてや震災直後で混乱しているときです。このお粗末な判別方法により朝鮮人のみならず日本人や中国人が殺害されることもありました。

地震の被害により物資の流通が滞る中、人々の情報源である新聞もまた発行が困難な状態になっていました。前回の記事で紹介した『流言と社会』(1966)ではうわさについて以下のように定義づけています。

曖昧な状況にともに巻き込まれた人々がお互いに知的資源を出し合って、その状況に関する有意義な解釈を作り上げようと試みる反復的なコミュニケーション形態

シブタニ『流言と社会』(1966)

震災によって曖昧で不安定な状況になった関東で人々は情報を求めてコミュニケーションを行います。新聞という制度的チャンネルが失われた状況下にあり、うわさが重要な情報源として広まっていきました。

また、うわさの影響は市民の間にとどまらず国や新聞といった制度的チャンネルにも及びました。被災地から脱出した人は、被災地の外に朝鮮人襲撃のうわさを伝えます。そして、そのうわさをもとに警察や軍隊が警戒態勢を取ります。また、被災地に持ち込まれた新聞もまたうわさを伝えました。

横濱の罹災民避難地へ不逞漢多数暴れ込み出兵を要求したと(串本電報)
横濱地方ではこの機に乗ずる不逞鮮人に對する警戒頗る厳重を極むとの情報が来た

『朝日新聞』1923.9.3

制度的チャンネルである新聞がうわさに加担する事態も発生しました。

「不逞鮮人各所に放火し帝都に戒限嚴令を布く」
「鮮人いたる所 めつたぎりを働く 二百名抜刀して集合 警官隊と衝突す」
「横濱を荒し 本社を襲ふ 鮮人のために東京はのろひの世界」

『東京日日新聞』1923.9.3 朝刊

上記の見出しにあるようなことは発生しておらず、すべてうわさに過ぎません。しかし、新聞記事にもうわさが掲載されたことで事態の悪化に拍車をかけました。

では人々は皆、うわさに惑わされパニック状態だったのでしょうか。

考えてみてください。不安定な状況下において、制度的チャンネルからの情報が不足している場合にその情報不足を補うためにうわさは利用されます。今回のケースでも地震の被害により新聞各社が大きな損害を受け、被災地は情報不足に陥っていました。そのなかでうわさが大きな力を持つのは仕方のないことです。また、一番問題なのは制度的チャンネルである新聞がこのうわさを“事実”に変えてしまったということです。新聞記事の情報は「ニュース」であり「事実」として扱われます。

必ずしもうわさに惑わされてパニック状態であったとはいえず、むしろ当時そのうわさは「事実」であり、もはや惑わされていたといえるのかも疑問なのです。そもそも、うわさに惑わされてパニックに陥っている人々が団結することなど可能なのでしょうか。人々は意外にも事態を乗り越えるために“冷静”であったとみることもできます。

とはいえ、本当に冷静であったならばこのような疑問を持ったはずです。
「関東に暮らす朝鮮人も被災して混乱しているはずなのに、どうして準備よく徒党を組んで暴動を起こす準備ができるのか?」

うわさの本当の恐ろしさはうわさを“事実”に変え、その“事実”に基づいて人々を動かしてしまうところです。

事例3:トイレットペーパー騒動

1973年10月、第四次中東戦争が起こり原油価格が高騰しました。紙の製造には多くの燃料が必要であり、原油価格の上昇は紙の価格の上昇に直結します。 そこで政府は紙資源の節約を呼びかけました。この時点では紙の供給になんら問題はありませんでした。

しかし、10月末になると主婦の間で「紙がなくなる」といううわさが流れ始めます。あるスーパーが広告のチラシに「紙がなくなる!」と載せて宣伝したところ、行列ができてトイレットペーパーが飛ぶように売れました。その様子は新聞などのメディアでも取り上げられ騒動が大きくなっていきます。原油の高騰やトイレットペーパー買い占めの報道によって、人々はますます不安に駆られて買い占め行動に走ります。不安は大きくなっていきいつの間にかトイレットペーパー以外の日用品(例えば洗剤や砂糖、塩など)も買い占めの対象となっていきました。

トイレットペーパー騒動は1927年の取り付け騒ぎと共通点があります。それはうわさがうわさではなくなった、つまりは予言の自己成就が起こったということです。紙資源節約の呼びかけは確かにありましたが、実際に紙が不足しているわけではありませんでした。しかし、人々は「もしかしたら紙がなくなるかもしれない。だから念のため買いだめしておこう。」と考え、行動を起こしました。その結果、「トイレットペーパーがなくなるかもしれない」といううわさは「トイレットペーパーがない」という事実に変化してしまったのです。トイレットペーパー不足は現実のものとなってしまったので、あるなら一つでも多く買いたいと思うのは当たり前のことです。

うわさの外にいる人からすればうわさは単なる“うわさ”でしかありませんが、うわさの当事者にとっては“真実”であるというのは往々にして起こりうることなのです。

事例4:東日本大震災時に発生したデマ

2011年に発生した東日本大震災では数多くのうわさが出回りました。この震災では地震、津波の被害だけでなく原発事故の発生が人々の不安をより高めました。社会が不安定であればあるほどうわさは力を持ちます。

ここでは数多く出回ったうわさの中の一つを紹介します。

【拡散希望】千葉在住の友人より。週明け雨の予報です。千葉周辺の皆さんご準備を!コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降るので外出の際は傘かカッパなどを持ち歩き、身体が雨に接触しないようにして下さい!!!

千葉の製油所、製鉄所の火災の影響で千葉、首都圏では、科学薬品(ママ)の含まれた雨が降ることが予想されます。傘やレインコートの使用をお願いします!また、コスモ石油の爆発で大気中に有害物質が含まれたため外出時には肌を出さず雨にも注意するようにとの事でせう。工場勤務の方より

医師会からのFAXで コスモの火災で有害物質が雲に付着して雨と一緒に降ってくるらしく体が雨に接触しないように注意して下さいって至急連絡がきました なるべく多くの人に教えてあげてください

荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』2011, p.30-31.

このうわさは東日本大震災が発生した3月11日の夕方頃からTwitterやメールを通して広まり始めました。このうわさに対してコスモ石油は翌日12日に「千葉製油所関連のメールにご注意ください」というお知らせを出し、うわさは全くの嘘であるということを説明しています。

本日、「コスモ石油二次災害防止情報」と言うタイトルで不特定多数の方にメールが配信されております。
本文には「コスモ石油の爆発により有害物質が雲などに付着し、雨などといっしょに降る」と言う記載がありますが、このような事実はありません。
タンクに貯蔵されていたのは「LPガス」であり、燃焼により発生した大気が人体へ及ぼす影響は非常に少ないと考えております。
近隣住民の方々をはじめ、関係する皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしております事を心よりお詫び申し上げます。

https://ceh.cosmo-oil.co.jp/information/110312/ (2019年9月30日参照)

この有毒物質雨のうわさは、拡散希望をうたうデマの典型的な作りになっています。前回の記事で、うわさはもっともらしさがなければ拡散されないという話をしました。そして、そのもっともらしさを生み出す要素として情報内容の信頼性を挙げました。この信頼性を担保しているのはうわさの中に登場する専門家や関係者です。

上記のうわさの中では情報源として「千葉在住の友人」「工場勤務の方」「医師会」が登場します。これ以外にも、「消防本部」「コスモ石油に勤めているお父さん」「県庁職員の知人」「自衛隊」など様々な情報源が登場しました。

公式発表されたわけではないのもかかわらず信じてしまうのは、内部をよく知る人の情報だから真実に違いないという心理が働いるためです。また、震災によって非日常を体験し何が起こるか分からない状況下におかれる中、ニュースで実際に石油タンクが炎上する様子を見ているので、うわさは本当だという解釈に流れやすくなっている状態でもありました。

うわさに登場する人物というのはあたかも内部のことをよく知る人物のように思われますが、よくよく考えてみてください。「コスモ石油に勤めているお父さん」について私達は何を知っているでしょうか。どこの部署に所属する何という名の人物なのでしょうか。「消防本部」からの連絡であれば公式に発表が出ているはずです。もし見つからないとすればそれは確認不足なのではなく、実際にはそんな連絡は存在しないということなのです。うわさの中では信頼できる内部関係者として登場する彼らは非常に不確かな存在です。もっともらしさの付与には十分かもしれませんが、うわさが真実であるという根拠には全くなりません。

震災におけるうわさの問題点

うわさの正確性

震災における「拡散希望」のうわさは非常に厄介な存在です。「○○は危ない 拡散希望」「助けを求めている人がいる 拡散希望」「○○が不足している 拡散希望」このような情報をみたら手助けする気持ちで気軽に拡散してしまうこともあるのではないでしょうか。しかし、これらの「拡散希望」は本当に正しい情報なのか気にする必要があります。もし仮に公的機関が発信する情報であれば拡散しても良いですが、気を付けたいのは個人が発信する「拡散希望」です。拡散希望をしている個人はどのような立場に置かれていて何を根拠にその情報を発信しているのか、私達は確かめようがありません。

もしかしたら本当に「○○が不足している」のかもしれません。しかし、もしかしたらその人の勘違い、あるいは主観で不足していると言っているだけかもしれません。また、「○○で物資を配布中」という情報もその時その場では確かに配布していたかもしれませんが、1時間後2時間後はどうでしょう。すでに配布が終了していたら、その拡散をみてその場にやってきた人には無駄骨です。仮に情報を拡散するのであれば責任もって配布終了のお知らせも拡散しなければいけないわけです。そこまでの責任を関係者でない私達が背負えるでしょうか。

善意で拡散されるうわさ

うわさを拡散(発信ではなく拡散)する私達は100%の善意でそれを行っています。恐らく誰も被災地を混乱させてやろうという気持ちで「拡散希望」に手を貸しているわけではないと思います。しかし、そこが非常に難しいところなのです。100%の善意で行っていることなので、不確かな情報を流しているという事実を非難しにくい構図になっています。また、「うわさだけど万が一本当だったら大変だから一応拡散しておこう」という人に対して、「それは嘘だから拡散するな!」と言っても説得するのは容易ではないでしょう。情報の拡散という善意に基づいた行動をすることで自らも被災地の役に立っていると錯覚してしまうところが問題なのです。

うわさが引き起こす二次災害

間違った情報を拡散すれば、その情報をもとに行動した人々や関係者が無駄な苦労をすることになります。また、うわさをもとに行動を起こした結果、二次災害を引き起こす可能性もあります。例えば「○○で助けを求めている人がいる」といううわさを見て実際に通報した人がいるとします。そうすると、消防が○○へ救助に向かうわけですが、○○には初めからもしくはすでに避難しており救助を求める人がいなかったとしたらどうでしょう。消防は不正確な通報に基づき行動した結果時間を無駄にして、本当に困っている人の救助に向かえず救えたはずの命を見捨ることになっていたかもしれません。

私達ができること

大きな災害にうわさはつきものです。私達が個人でそのうわさの真偽を確かめることは不可能に近いことです。では私達ができることは何でしょうか?

それはうわさの拡散に一切関与しないということです。

拡散する前に立ち止まって考えてみてください。今から拡散している情報は確かなものですか?個人の発信する不確かな情報だとしたら拡散を思いとどまることです。善意から拡散して被災地に貢献したつもりになってはダメで、むしろ拡散することで不利益をもたらしているという自覚が必要です。

まとめ:うわさに対する心構え

ここまで様々なうわさの研究や事例を取り上げてきました。うわさの影響力は確かに大きく、とても個人で太刀打ちできるものではありません。しかし、心掛けるべきことがあります。

それは「うわさに直面したらまず疑え」ということです。

そのうわさは誰が発信、情報元なのか確認する必要があります。制度的チャンネルではなく個人が発信したものであれば、鵜呑みにせず拡散は控えるようにした方が賢明です。

「マスコミは公表していないだけでうわさは本当だ」と考えてしまうことがあるかもしれません。「マスコミは事実を隠している」などと言われるとうわさがもっともらしく思えてしまうこともあるかもしれません。

しかし、ここは一つ冷静に考えてみてください。どうして、マスコミなどの制度的チャンネルが公表していないことがうわさとして簡単に出回るのでしょうか。「いやいや、マスコミが隠蔽して公表されないんだ」と考える人がいるかもしれません。では、どうしてマスコミが事実を隠蔽する必要があるのでしょうか。例えば、震災に関するうわさに関して、事実であればマスコミが隠蔽する理由があるでしょうか。

「うわさに惑わされるな」というのは簡単です。しかし、いくつかの事例で見てきたようにうわさが“真実”に変化していたら、もはや「惑わされるな」というのは無理があります。“事実”にしないためにも、まずは一人一人が「うわさを疑う」ところから始めていく必要があるわけです。

追記(2019/12/19):NHK NEWS WEB(2019-12-19)に今回の内容と関連した記事があったのでリンクを貼っておきます。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/saigai/select-news/20191219_01.html


次回はメディアと世論の関係について、いくつかの理論を紹介しながら解説する予定です。

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