メディア論解説(その5)うわさというメディア(1)

メディア研究

前回は技術決定論と社会決定論の考え方を解説しました。今回は「うわさ」や「口コミ」「デマ」について考えていきます。メディア論解説なのにどうして「うわさ」や「口コミ」「デマ」を扱うのかと疑問に思う方もいるかと思いますが、その答えは簡単です。うわさもメディアの一種であるからです。うわさと言われても私達が思い浮かべるのは恐らくその内容についてのみです。しかし、うわさには内容以外の要素、特徴が隠されており知らず知らずのうちに影響を受けています。今回は一歩引いたところからうわさの正体を見ていきます。

うわさとは何か

うわさの4つの特徴

まずはうわさの4つの特徴について解説していきます。

1. うわさは明確な証拠のない伝聞情報である。

うわさは情報源も内容も不確かな情報です。一口にうわさといってもいくつもの種類があります。

「口コミ」・・・物事に対する評価を対人的コミュニケーションの中でやり取りするうわさ

「デマ」・・・悪意をもった人が発信するうわさ

「ゴシップ」・・・人に関するうわさ

「流言蜚語」・・・社会的・政治的なうわさ

「都市伝説」・・・物語として人から人へ受け継がれていくうわさ

「風評」・・・うわさに基づく事実とはかけ離れた評価

「フェイクニュース」・・・主にインターネット上で広がる偽のニュース

2. 人から人へ口伝えによる自己増殖的なコミュニケーションである。

うわさは口伝えなどの非制度的チャンネルを通して人から人へと伝わっていきます。マスコミのニュース、国や会社の広報といったような制度的チャンネルでは決して流れることのない情報のやり取りがここでは行われています。最近では直接の口伝えに限らず、ケータイやインターネットを介したコミュニケーションも行われています。

また、うわさは「自己増殖的」です。マスコミや広報が発信する情報は、発信者から受け手に対して直接、そして一方的に届きます。同じ発信者から複数の受け手が情報を得てそこで終わりです。

マスコミ・広報(発信者)→市民(受け手)

しかし、うわさにおいては発信者と受け手は区別されていません。誰しもが受け手になりそして発信者になりうるのです。発信と受信が繰り返されうわさは増殖していきます。

市民(発信者)→市民(受け手・発信者)→市民(受け手・発信者)→市民(受け手・発信者)→うわさはどんどん膨らんでいく・・・

3. 事実性は問われずに流通し、事後的に真偽が判明する。

うわさは何となく信じられて人から人へ語られていくものであり、語られる内容が事実かどうかは問題になりません。確かな証拠のない情報が都合の良い解釈をされつつ流通し、その結果あたかもそれは「事実」であるかのように信じられることになります。

うわさを伝える際には真偽が問われることはなく、うわさが伝わった後に(事後的に)それは事実なのかどうかが問われます。

うわさにおいては事実かどうかよりも伝えることが重視されます。なぜ事実かどうか検討されずにうわさは広まっていくのでしょうか?

この謎を考えるときのキーワードは「もっともらしさ」と「仲介者」です。

4. うわさは仲介者によって支えられている。

うわさは誰が広めたものなのか、つまりは情報の発生源が明確ではありません。また、マスコミや広報と違って発生源がどこの誰であるのかというのはさほど重要ではありません。うわさを広める源となっているのは、情報の発生源ではなくそれを周りに広める仲介者の存在です。

うわさには確かな証拠がないという話をしてきましたが、うわさには必ず根拠があります。それは、情報源の信頼性情報内容の信頼性です。

情報源の信頼性

まずは情報源の信頼性ですが、これはそのうわさは誰から伝えられたものかということです。想像してみてください。どこの誰かも分からない人からうわさ話を聞いても素直に信じる人は少ないと思います。しかし、友人から聞いたうわさ話はどうでしょうか。あなたの友人Aさんから「私の友達のDから聞いたうわさなんだけどね・・・」といううわさ話を聞かされたら恐らく「へえ、そんなことがあったんだ」と信じてしまうのではないでしょうか。私達はDさんがどんな人か知らないにもかかわらず「友達の友達」という関係性をどこか信頼してしまうのです。

情報内容の信頼性

次に情報内容の信頼性ですが、これはうわさの中身そのものに「もっともらしさ」があるかどうかということです。うわさ話はとても親密なコミュニケーションです。赤の他人からではなく身近な人から伝わってくるものであり、明らかに嘘だと分かるうわさ話というのは広がることはありません。うわさにおいてもっともらしさを高める要素の一つは、専門家や内部関係者の登場です。「消防本部からの連絡で」「友達の父親がA社に勤めていて」「知り合いの医者に聞いたんだけど」このように専門家や関係者が登場することで、うわさ話の中身に真実味が出てきて信頼性が高まるというわけです。

うわさについて押さえておきたいポイント

・うわさは人から人への情報伝達であり、自己増殖的なコミュニケーションである。ニュースや広報とは伝達の仕方が異なる。

・うわさが広まっている間は内容の真偽は定かではなく、事後的に真偽が判明する。

・うわさは無根拠に信じられて広まるものではなく、内容の「もっともらしさ」そして、仲介者との親密性の2つの要素が根拠となって広まる。

・内容の真偽ではなく「もっともらしい」かどうかが問われ、もっともらしければ内容の真偽は忘れ去られ、親密性を維持するためのツールとして利用される。

うわさに関する研究・理論の紹介

うわさに関する研究は古くから行われてきました。これまでどのような研究が行われてきたのか見ていきます。

清水幾太郎『流言蜚語』1937

清水はうわさを抵抗のためのメディアとして捉えました。この著書が刊行されたのは2・26事件(陸軍青年将校によるクーデター未遂事件)の翌年であり、日本はまさにこれから戦争に向かうという時期です。言論統制下にある社会ではうわさが増えます。なぜなら、言いたいことをストレート(「○○である」)に言うことができず、伝聞の形(「○○らしい」)をとって語られるからです。

うわさは表沙汰にできない意見・考えを伝えるメディアであり、匿名の情報発信でもあります。言論統制に対する抵抗としてのうわさを清水は描き出しました。

オルポート&ポストマン『デマの心理学』1946

オルポートとポストマンはうわさの公式を用いてデマがどのような条件で広がるかということを説明しました。

うわさの公式:R〜i×a
R=rumor(うわさ)
i=importance (重要性)
a=ambiguity(あいまいさ)
「〜」は比例を意味する(y〜xの意味は yはxに比例する)

この公式が意味するのは、「うわさの流布量」は「重要性」と「あいまいさ」の積に比例するということです。つまり、重要性かあいまいさのどちらかがゼロだとうわさは広まらないということを示しています。

この著書が刊行されたのは1946年であり、第二次世界大戦後の影響で社会が不安定な時期でした。デマによる損害が発生していたため、うわさを危険なものとして捉え、アメリカ社会に広がるうわさ(デマ)の拡大を阻止する目的でこの研究は行われました。

また、オルポートは実験でうわさがどのように歪んでいくのかということも明らかにしようとしました。一枚の絵を見せる伝言ゲームを行い、どのように歪むのか、パターンはあるのかを検証し、その結果としてうわさには3つの歪み方のパターンがあるとしました。

平均化・・・出来事の細かい部分が切り捨てられる。事実が完全な形ではなくなる。

強調・・・平均化で残った部分が強調される。嘘ではないが誇張されている。

同化・・・もともと持っている考え方や感情とうわさが一体化する。うわさの信頼性が高まる。

平均化によりうわさは事実を正確にとらえたものではなくなり、強調により事実は誇張され、同化によりうわさは本人たちの間で確かなものになるということです。

うわさというのは、うわさをする人達に「もっともらしい」と思われるように変化し、うわさをする人達が「もっともらしい」と思われるように変化させるということです。

シブタニ『流言と社会』1966

シブタニはうわさ(流言)について

曖昧な状況にともに巻き込まれた人々がお互いに知的資源を出し合って、その状況に関する有意義な解釈を作り上げようと試みる反復的なコミュニケーション形態

シブタニ. 流言と社会. 1966.

と定義づけました。曖昧な状況というのは例えば戦争や災害、不景気など社会的に不安が高まっている状況のことで、このような状況において人々は事態を把握するために情報を求めます。このときニュースや公式の発表(制度的チャンネルの情報発信)が十分であれば大きな混乱は発生しません。

しかし不十分である場合、人々は情報不足を補うためにうわさに頼ります。シブタニはうわさを情報生成の過程に必要不可欠なものとして位置付けています。

エドガー・モラン『オルレアンのうわさ』1969

モランは1969年にフランス中部の都市オルレアンで発生した女性誘拐のうわさ事件についての研究を行いました。この研究ではうわさの発生から拡大、そして消滅までを具体的に捉えています。まず、オルレアンのうわさ事件の概要について簡単に説明します。

1969年の4月末から5月初めにかけてオルレアンの町ではあるうわさが流れました。それはユダヤ人が経営する洋服店で若い女性が誘拐され外国に売られるというものです。このうわさは町の女生徒の間で広まり、やがて町中の人がうわさに巻き込まれる事態になりました。うわさの的になった洋服店は町の人々に囲まれ威嚇されました。結局、町のユダヤ人人権団体や左派政治家、マスコミが単なるうわさに過ぎないということを伝えるようになり事態は収拾します。

うわさが広がった社会的背景をここでまとめておきます。
・事件が生じたのは辞任したドゴール大統領の後任者を決める選挙期間中で落ち着かない時期であった。
・1960年代、フランスは高度経済成長のなかにあり現代化が進むことに対する驚きと不安があった。
・ファッションも大きく変化し、カーテンで仕切られた試着室という空間で新たな服を身につけるというこれまでにない夢のような経験をした。広がる妄想。
・オルレアンの町は現代化が進む一方でジャンヌダルク時代の古風なイメージを生き返らせた。秘密の地下通路や地下墓地の話がうわさに現実感を与えた。
・隠れた反ユダヤ主義(第二次世界大戦の反省から反ユダヤ的な言動は取り締まられる。)

この事件はうわさを否定することの難しさを物語っています。警察に行方不明者の届け出があったわけでもなくメディアで誘拐の報道があったわけでもありません。しかし、人々はうわさは単なるうわさに過ぎないとは考えず、「事件は隠されいる」「警察もグルなのではないか」という考えに走りました。口コミだけでうわさはどんどん膨らんでいきます。

では、この事態はどのように収拾に至ったのでしょうか。それを考える上で注目すべきは「対抗神話」です。モランはこのうわさをオルレアンの女性誘拐の神話と捉えました。そして、この神話に対抗したユダヤ人人権団体や左派政治家の反論を対抗神話であるとしました。

オルレアンの女性誘拐神話 VS 反ユダヤ神話(対抗神話)

オルレアンのうわさは反ユダヤが前面にきたものではありませんでした。しかし、対抗神話では「反ユダヤが原因のうわさであり人種差別である」という主張を行い、うわさに隠れていた「反ユダヤ」という要素を攻撃することでうわさを消滅させること(ユダヤ人差別主義者だと思われたくないためうわさを否定するようになるということ)に成功しました。

次回:うわさの事例とその解説・まとめ

次回も引き続きうわさに関する話をします。次回は具体的にうわさの事例を紹介しながら、一つ一つの事例でどこに注目してどのような見方をすることができるかを解説していく予定です。

ページトップへ戻る

前の記事へ

次の記事へ

コメント

タイトルとURLをコピーしました