メディア論解説(その4)技術決定論と社会決定論

メディア研究

前回は印刷メディアの登場とそれがもたらした社会の変化について紹介しました。新しいメディアが社会に変化をもたらす、このように考えれば実に単純なことのように思われます。しかし、社会の変化をたった一つの新しいメディアの登場だけで語ることができるのでしょうか。今回は、技術決定論と社会決定論について説明します。メディアの登場と社会の変化をどのように説明するべきか、この二つの論から一緒に考えてみましょう。

メディア論の考え方

いきなり技術決定論、社会決定論の説明に入る前に、ここでもう一度メディア論とはどのような考え方かを振り返ってみましょう。

なおメディア論については第2回の解説https://uenashi.com/explanation-of-media-2も参考にしてください。

メディア論はマーシャル・マクルーハンの著書『メディア論:人間の拡張の諸相』(1987)をもとにしたメディアの考え方です。「メディアはメッセージである」この言葉の意味は第2回の記事を参照してください。メディア論において大切な考え方は、メディアの形式によって発信される意味内容が変化するということです。言い換えれば、同じ事実でも異なるメディアを使うことで理解の仕方が変わるということです。

例えば映画を観るとき、仮に同じ作品を観ているとしてもどこで観るかによってその経験は変わってきます。家のテレビで観るでしょうか、それともパソコンで観るのでしょうか、あるいは映画館で観ますか、映画館にも3D、4D、爆音上映というものもあります。同じ作品なのは間違いありませんが、受け取る内容は全く同じといえるでしょうか。

もう一つ喧嘩を例に挙げてみましょう。

喧嘩とは不思議なもので一度始まるとなかなか終わらないものです。なぜ喧嘩は続くのか。それは内容で行っていたはずの喧嘩がそのうち形式をめぐる喧嘩にすり替わってしまうからです。喧嘩をしているとき、こんなことを言ったことはありませんか?

「大声出さないでよ!!」「なんでそんな言い方するの?」

気が付いたでしょうか?上の二つの発言は実のところ喧嘩の内容とは直接関係ありません。本来の喧嘩の内容が置き去りにされ、相手の態度や怒り方に対して怒るという現象が起きているのです。これは日本語の特性でもあります。例えば「この方の言ったことは間違っている」「こいつの言ったことは間違っている」という二通りの言い方をするとします。どちらも「相手の言っていることは間違っている」という意味になりますが、受け手の解釈は全く異なるでしょう。「こいつ」とはなんだと喧嘩が始まります。言い方が問題になって命題に目がいかないのです。

これも一種のメディアがもたらす見えにくい影響であるといえます。日本語というメディアがその内容にとどまらずあらゆるメッセージを伝えてしまっているのです。

技術決定論とは

前置きが長くなってしまいましたが、いよいよここからが今回の本題です。技術決定論という言葉の意味をまずは調べてみましょう。

技術が社会に影響を与え、変化させると主張する立場。印刷技術が社会の近代化を導いたと論じたマクルーハンが代表的。

(大辞林 第三版)

技術が社会に影響を与え変化させるというのはまさにこれまで説明してきた通りです。印刷技術の話は第3回https://uenashi.com/explanation-of-media-3で詳しく解説していますのでそちらを参考にしてください。

技術決定論では内容そのものよりも形式を重視します。内容よりも形式というのはとても単純な考え方で理解するのも簡単です。記事の前半でもメディア論の考え方について取り上げましたが、私達は想像以上に形式から影響を受けているのは間違いありません。技術決定論においてメディアとは技術のことであり、技術の変化=社会の変化という構図で物事を説明しようとします。新しいメディアがいかに社会や人間に影響を与えるのかということに着目しているわけです。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてほしいことがあります。果たして本当に新しい技術が出たら社会は変わると単純に言い切れるのでしょうか。

例えば、スマートフォン。スマートフォンは新しく登場したメディア(=技術)です。技術決定論的に説明しようとすれば、スマートフォンの登場で社会は変化したということになります。どうでしょうか?確かにスマートフォンを使っている人にとっては変化は身近なものに感じられると思います。

しかし、中にはスマートフォンを使用していない人もいます。その人たちから見ても同様の社会変化が起こっていると言えるでしょうか?

「こんな新しいアプリが登場しました!使いましょう。」「このアプリは革命を起こします!」「この技術はまさに新しい時代の幕開けです。」「AIの時代です!この仕事はなくなります。」

テレビや新聞などでこのような言葉を誰しも一度は聞いたことがあると思います。これらはまさに技術決定論的な思考で語られた言葉です。「新しい技術とそれによる社会変革でより良い社会になる」ということを心の底から信じて疑わないわけです。

しかし、考えてみてください。先ほどスマートフォンは全員が全員使っているわけではないという話をしました。新しい技術も同じです。全員が全員その新しい技術を使える環境にはありません。もちろんAIで仕事がなくなることもあるでしょう。しかし、それは本当に一部の話であって実際はAIの導入が画一的に進み社会が変革するなどということはありえません。技術決定論の問題はここにあります。つまり、技術決定論のいう社会の変化を体験することができるのは、新しいメディア(=技術)に触れることのできる最新の環境にいる人々だけということです。

新しい技術は社会の在り方を大きく変え、より良い時代を作り出すという技術決定論の考え方は単純で理解しやすくかつ説得力があるように感じた方も少なくないのではないかと思います。しかし、疑ってみてください。新しい技術が登場してもそれを使える人はほんの一握りで、多くの人はその変化を体験するどころか知ることすらないわけです。果たして技術の先端にいる人々だけを対象にした技術決定論的な考え方で社会の変化を正しく説明できるのでしょうか。

皆さんの多くはスマートフォンを持っていることと思います。しかし、スマートフォンを持っているからといって必ずしも先端ユーザーでいられるわけではありません。スマートフォンは定期的にアップデートが行われます。買ったばかりの最新機種も2,3年もすれば最新とはいえなくなります。そしていずれはサポートの対象外になるわけです。ここで買いかえればまた先端ユーザーになれます。しかし、まだ使えるからとそのまま使う人もいるでしょう。このとき使い続けることを選んだユーザーは、技術決定論の対象集団から外れると同時に技術決定論のいう「社会変化」を体験することができなくなります。

「この新しい技術はすごい!新時代の幕開けです!」などと言われると思わず納得してしまいそうですが、冷静に考えてみることも必要です。新しい技術が登場したらいきなり社会変革が起こると簡単に説明するのは少々無理があるのです。

社会決定論とは

社会決定論はメディアを社会的な産物と捉え、人間や社会の在り方こそが技術の在り方を決定し、その関わり合いの中で社会は変化していくとする考え方です。文化決定論とも言います。

技術決定論は「技術が社会を変える」という発想であったのに対し、社会決定論は「社会が技術を位置づける」という発想にあります。

社会決定論の具体例として有名なのはポケットベルです。ポケベルと言われ1960年代に登場しました。もともとポケベルはビジネスマン向けに開発されたもので、初期のポケベルは画面は無くただ音が鳴るだけでした。また使用料は非常に高額でした。

時が経ち1980年代頃になると低料金化が進み一般のビジネスマンに広く普及し始めました。そうするとある社会問題が発生します。それはポケベルの呼び出し音による騒音問題です。広くビジネスマンの間で使われるようになったポケベルですが、現在の携帯電話のようにマナーモードもなければバイブレーション機能もありませんでした。

この社会問題に直面した結果、バイブレーターという新しい技術開発へと進んでいきました。そしてポケベルはさらに進化しディスプレイ表示が可能となりました。ここでまた新たな現象が起こります。これまでポケベルはビジネスマン向けに開発されてきました。しかし、ディスプレイが付いたことにより数字を用いて相手とやり取りをすることが可能になりました。

いくつか例を挙げると「428=渋谷」「5963=ご苦労さん」「8181=バイバイ」などです。この数字を用いたコミュニケーションを行ったのは当初のターゲットであったビジネスマンではなく若者でした。とりわけ女子高生の間でブームとなり、電話以外の方法で友達と繋がる手段となりました。呼び出しのためのポケベルは人とやり取りするための道具に変化し、さらに日本語文字を送れるまでになりました(あ=1.1、か=2.1のように)。

入力が面倒ということもありビジネスマンには流行らなかった文字のやり取りですが、若者はつながるための道具としてますます活用していきポケベルを提供するメーカーも次第にターゲットを女子高生に切り替えるほどでした。

ここで新たなメディア(=社会的な産物)が生まれます。それが「絵文字」です。

今や携帯電話に当たり前のように搭載されており、「Emoji」として世界でも広く知られるようになった絵文字ですが、まさにこの絵文字は女子高生向けにポケベルを進化させていくという方向性のもとで生まれたものでした。

そして、進化し続けたポケベルは新たな社会問題を引き起こします。それが援助交際です。当時雑誌に自分の番号を載せて「ベル友」を作ることが当たり前のように行われていました。趣味の近い人を探すための手段ではありましたが、同時にそれは見知らぬ人とのつながりを生み出しました。今でいうところのSNSというわけです。

ポケベルの印象は世代で異なります。ビジネスマンにとってポケベルとは、会社からの呼び出しを意味するので決して楽しい道具ではありません。一方、若者にとってポケベルは離れた人と繋がることを可能にする楽しい道具になるわけです。

ここまでの流れを簡単にまとめてみると、「ビジネスユーザー向けに開発されたポケベル」→「騒音が社会問題化」→「バイブレーターの開発」→「ディスプレイ機能搭載」→「女子高生による数字・文字でのコミュニケーション」→「若者向けデザインの開発」→「援助交際の社会問題化」となります。

ポケベルという新しいメディアを例に社会変化を振り返ってみました。さて、技術決定論的に「新しい技術が社会が変わる」と単純に言える話でしょうか。

騒音という社会問題があってバイブレーターの技術が生まれたという話は「技術があって社会が変わる」のではなく「社会の求めがあって技術が生まれる」という構図になっています。絵文字という新しいメディア(=社会的な産物)が誕生したのも、若者をターゲットにしたからこそです。初めから絵文字という新しいメディア(=技術)があって社会を変化させた結果として今の絵文字文化があるわけではありません。

技術が社会を変えるのではなく、人間が技術と向き合い工夫していく中で社会は変化していくと考えるのが社会決定論です。社会決定論にも問題点はあります。それは過去を振り返ることでしか社会の変化を説明することができないということです。社会決定論で未来を語ることは不可能です。

まとめ

メディアの登場と社会の変化をどのように説明するかという考え方として、技術決定論と社会決定論の二つを紹介しました。もう一度簡単にまとめます。

技術決定論:メディア=技術 技術の変化→社会の変化
新しいメディアがもたらす未来の社会変化を語る。

社会決定論:メディア=社会的な産物 社会の求め→技術の変化
社会のニーズとその解決を繰り返す中で生まれた産物がメディアであり、過去から社会変化を語る。

どちらか一方が正しくてもう一方は間違っているということではありません。メディアと社会の関係性を考えるときの参考にしてみてください。


次回はうわさや口コミといったメディアについて解説する予定です。

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