メディア論解説(その3)印刷メディアと想像の共同体

メディア研究

前回は「メディアはメッセージである」という言葉の意味を解説しました。私達はメディアそれ自身が発するメッセージに気が付くことなく生活を送っていますが、実は様々なところで社会は隠れたメッセージに影響を受けています。今回は15世紀まで遡って、印刷メディアの誕生と印刷メディアが社会にもたらした影響を考えていきます。

印刷メディアの登場

まだ印刷技術が発明されていなかった時代、人から人への情報伝達は言葉によって行われていました。これを口頭伝承と言います。やがて文字を用いたコミュニケーションが用いられるようになります。口で伝えられていた情報は文字として記録、つまり書くことで記録されるようになりました。さらに時代が進むと人々は写本を行い情報を広めていきました。写本とは、原本(オリジナルの書籍)を手で書き写してコピーすることです。

日本においても様々な古典作品の写本が存在しています。写本の次に登場した複製技術は木版印刷です。木版印刷とは木の板に文字を彫り、墨をつけ紙に印刷していくというものです。小学校の図工の時間に経験する木版画に近いものです。

15世紀に入るとドイツの発明家であるヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を生み出しました。一文字一文字を金属製のハンコで作り、それらを組み合わせて文章を作ります。木版印刷は版に彫った通りにしか印刷できないのに対し、活版印刷では文字のハンコを入れ替えることで文章を作り替えることが可能です。この技術を用いてグーテンベルクは聖書を印刷しました。

16世紀には新聞の原型が登場し、17世紀には定期刊行物が、18世紀に入ると新聞・雑誌・書籍が登場し、19世紀に入って大衆向け印刷物が誕生しました。そしてこれはマスメディアの誕生を意味します。印刷メディアの系譜を大きくまとめると下記のとおりです。

口頭伝承→写本→印刷・出版

印刷メディアがもたらしたもの

印刷という技術が社会に与えた影響を考える上で参考になるのが、アメリカの政治学者であるベネディクト・アンダーソンの著書『想像の共同体』です。「想像の共同体」とは、端的に言ってしまえば「国民」のことです。ここでいう共同体とは人々のことであり、想像の人々≒国民となるわけです。

とまあこのように説明しても何のことやらさっぱりだと思いますのでより具体的に説明します。

では、ここで一つ質問です。
「あなたはどこの国の人ですか?」

この記事を読んでくださっている人の多くは「日本人だけど?」と答えることでしょう。では、アメリカ人や中国人、ドイツ人と何が違うのでしょうか?住んでいる土地ですか?話す言葉ですか?何をもって私達は「私達は日本人である」と認識しているのでしょうか。

例えば、あなたは東京に住んでいて一度も島根県に行ったことがないとします。「島根県は日本ですか?」と質問されても何の疑問も持たずに「そうです」と答えるでしょう。島根県に一度も行ったことがないのにどうしてそこが日本だといえるのでしょうか?

「〇〇人」「〇〇国」というのはあくまで私達の頭の中にあるイメージです。確かに話す言葉、住んでいる土地、文化は異なります。しかし、違いはそれだけであり〇〇人と△△人という区分は私達の頭の中のイメージにしか存在しないのです。動物から見ればアメリカ人も日本人も同じ人間です。国の区分に関しても同じです。地図の上に引かれている国境は私達のイメージの表れであり、地球は最初からここからここまでは〇〇国などと分かれていたわけではありません。

つまり、ベネディクト・アンダーソンのいう「想像の共同体」とは想像(イメージ)上の共同体(人々)という意味であり、まさしく「〇〇国民」というのは想像上の区分でしかないということなのです。

想像の共同体と印刷メディア

では、想像の共同体と印刷メディアがどう関わってくるのか説明します。さきほど「印刷メディアの登場」で少し触れましたが、活版印刷を発明したグーテンベルクは聖書を印刷しました。さらにこの聖書についていえば、グーテンベルクが印刷したのはドイツ語翻訳の聖書でした。

当時聖書というのはラテン語で書かれているのが一般的でした。このラテン語で書かれた聖書にはある問題があります。それはラテン語であるがゆえに、読み書きに心得のあるエリート層しか読むことができなかったという問題です。活版印刷が登場する前の複製方法は写本でした。聖書の写本もラテン語で行われ、読めるのは一部の人に限られていました。

しかし、活版印刷技術の登場により大量印刷が可能になります。では、ラテン語の聖書が大量に印刷されたのかというとそれは違います。いくら大量に印刷できてもラテン語では大半の人が読めません。大量に印刷して読んでもらうためにはどうすればいいのか?

答えは簡単で、その地域の現地語に翻訳して広めれば良いのです。とはいえ言葉は地域ごとに細かく異なります。下の図のように小国が集まっていたとします。

Aという地域で大量印刷がスタートしました。A地域ではA’という言語が使われています。A地域は広いのでA’語で印刷すれば多くの人に読んでもらえます。同様にB地域も広いため現地語B’で印刷すれば多くの人に読んでもらえます。次にC地域で大量印刷をしようと考えたとき、ある課題にぶつかります。C地域はとても小さな地域で言語C’を使用する人も少数です。同様に地域D,Fも小さく、それぞれの言語使用者も少数です。地域C,D,Fで大量印刷の効果を最大限に引き出すために行われるのは言語C’,D’,F’を混ぜて新たな言語I’を作り出すことです。こうして地域C,D,Fは言語I’を使用する新たな地域Iとなります。地域H,Gも同様に新たな言語J’を使用する地域Jとして新たに区分けされます。

このとき社会には大きな変化が起こります。もともと地域A,B,C,D,E,F,G,Hにいる人々はお互いに違いを意識していませんでした。しかし、印刷と言葉の流通の過程で地域がA,B,I,Jに分かれると、「A’語で書かれた新聞を読むA国人とB’語で書かれた新聞を読む私達B国人は違うんだ」と考えるようになります。地域Aと地域Bに住む人々に何ら違いはありませんが、自分たちのいる地域に配られるメディアを通して、よその地域との差をイメージ(想像)するようになります。このイメージがもとになって国民という感覚が生まれるのです。

印刷メディアは広く読んでもらうために新たな言語を生み出し流通させ、地域を大きくまとめ新しい区分をもたらしました。新たな言語は国語になり、新たな地域の区分は国境となります。大量印刷によるメディア(マスメディア)はその印刷物を広める過程で「想像の共同体」を、つまりは「国民」という概念を作り出していたわけです。

日本における想像の共同体

さきほどまでの説明はヨーロッパを中心とした話でしたが、日本においても同じようなことが起きていました。私達は北海道から沖縄まで何一つ疑うことなくそこは日本であるとイメージしていますが、日本という概念ができたのはいつでしょうか?

それは明治政府が誕生したあたりだと言えます。江戸時代、徳川家による天下統一がなされたわけですがこの当時は小国(〇〇藩)が乱立している状態でした。鎖国状態にあった”江戸を中心とした小国群”は海外からの訪問(黒船襲来や薩英戦争など)により国としてまとまることの必要性を感じ始めます。明治維新が起こり、富国強兵・殖産興業をスローガンに小国は大きな一つの国としてまとまり始めました。明治政府の誕生は日本という国の誕生ともいえます。江戸の言葉を日本語として定め、学校を建てて国語教育を行いました。

日本国・日本人という想像の共同体は外国という脅威により形成されたというわけです。

まとめ

想像の共同体とは・・・私達の頭の中にある「国民」という概念。ナショナリズムの起源。


ヨーロッパにおける写本と大量印刷の違い・・・
■写本=ラテン語←エリート層しか読めない=大衆向けではなく大量印刷の必要性がありません。
■大量印刷=現地語←一般大衆が読める=大勢に読んでもらうための大量印刷。皆が読める言葉が必要になります。

大量印刷がもたらした社会の変化・・・
広く印刷物を利用してもらうために新たな言語が求められました。印刷メディアのために生まれた言葉はときに国語となり、印刷物の流通範囲がときに国境を生み出します。印刷メディア(マスメディア)が同じ言葉を使う人同士のつながりを生み出し、それが想像の共同体(国や国民という概念)を作り出すに至っているのです。


次回は技術決定論と社会決定論についての解説を行う予定です。

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