犬君(いぬき)との出会い
「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを。」
恐らく今このページをご覧の方の多くは、高校時代の古典の授業でこの一文を目にしたことと思います。この一文は、『源氏物語』「若紫」の中で、子供である紫の上が最初に発した言葉であり、光源氏が紫の上に初めて出会う印象的な場面で用いられています。この場面は「北山の垣間見」や「若紫との出会ひ」といった題が付けられ、ほとんどの教科書に載っています。教科書における源氏物語の採録箇所を研究した論文「高等学校国語教科書における『源氏物語』採録箇所の研究:桐壺巻・若紫巻採録の適切さを中心として」(菅智子, 2017, https://ci.nii.ac.jp/naid/120006561229)によれば、調査した9社18冊の教科書すべてに「若紫」の光源氏が紫の上を垣間見する場面が採録されていることが明らかになっています。
この記事で取り上げる犬君(いぬき)とは「紫上が召使っている女童の名」(日本古典文學体系, 1958, p.184)であり、紫の上の遊び相手をしている女の子です。源氏物語にその名が登場するのはたった2回だけです。しかし、これは源氏物語を学ぶ人が一度は目にする名でもあります。
源氏物語には多くのキャラクターが登場するため、私たちが授業で出会う人物は一部に限られます。そんな中、古典の授業で「若紫」のあの場面が必ず扱われるがために、「犬君」と私たちは必然的に出会うことになるのです。
「犬君」というキャラクターについて、『源氏物語』、論文、源氏物語を漫画化した作品である『あさきゆめみし』の3つから掘り下げて考えます。
『源氏物語』における「犬君」の登場場面と評価
源氏物語において、「犬君」という名が登場する場面は2回あります。一つは「若紫」の巻、もう一つは「紅葉賀」の巻です。
「若紫」の巻における犬君
紫の上「雀の子を、犬君が逃がしつる、伏籠の中に、籠めたりつるものを」(若紫)
「雀の子を犬君が逃がしてしまいましたの、伏籠の中に置いて逃げないようにしてあったのに」(与謝野晶子訳)
これは光源氏がまだ子供である紫の上を垣間見ていたところ、捕まえておいた雀の子を犬君に逃がされたことを大人たちに訴える紫の上を描写した場面です。犬君は紫の上が捕まえておいた雀の子を逃がしてしまいます。
「紅葉賀」の巻における犬君
紫の上「「儺やらふ」とて、犬君が、これをこぼち侍りにければ、つくろひ侍るぞ」(紅葉賀)
「儺追いをするといって犬君がこれをこわしましたから、私よくしていますの」(与謝野晶子訳)
これは光源氏が紫の上のもとを訪ねた際に、雛遊びをしていた紫の上が犬君に壊された小道具を直そうと一生懸命になっている場面です。儺(な)とは鬼のことで、儺追い(なやらい)とは鬼を追い払う儀式のことです。犬君は儀式の真似をして紫の上の遊び道具を壊してしまいます。
犬君に対する評価
「犬君」という名が登場するのは上記の二場面だけであり、いずれも紫の上の会話文中のものです。犬君の行為はすべて紫の上の口で語られ、犬君自身は直接描写されていません。一方で、犬君に対する周りの大人の評価は描写されています。若紫、紅葉賀それぞれの場面での犬君に対する評価を見ていきます。
少納言の乳母「例の、心なしの、かゝるわざをして、さいなまるゝこそ、いと心づきなけれ」(若紫)
「またいつもの粗相やさんがそんなことをしてお嬢様にしかられるのですね、困った人ですね」(与謝野晶子訳)
光源氏「げに、いと心なき、人のしわざにも侍るかな」(紅葉賀)
「ほんとうにそそっかしい人ですね」(与謝野晶子訳)
犬君に対する評価を述べているのは少納言の乳母と光源氏の二人です。少納言の乳母は、雀の子を逃がしてしまった犬君に対して「例の心なし」と評価し、光源氏は小道具を壊してしまった犬君に対して「いと心なき人」と評価しています。
心なし・・・「思慮分別のないこと。また、その人。不注意者。」(宮腰賢ほか. 全訳古語辞典. 第四版. 旺文社, 2011, p.470.)
犬君に言及した箇所だけを見れば、犬君はただの不注意者という評価で終わりますが、紫の上に対する周りの大人の評価と比較してみるとまた別の評価をすることができます。
「あなたはまあいつまでも子供らしくて困った方ね。私の命がもう今日明日と思われるのに、それは何とも思わないで、雀のほうが惜しいのだね。雀を籠に入れておいたりすることは仏様のお喜びにならないことだと私はいつも言っているのに」(与謝野晶子訳)
「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳きするのもおうるさがりになるようなことではね」(与謝野晶子訳)
このように紫の上もまた尼君と少納言の乳母の二人から評価されています。尼君は紫の上の祖母にあたる人物です。犬君が雀の子を逃がしたことについて、少納言の乳母は犬君を責めましたが、尼君は雀の子を捕らえておくことは罰当たりだと逆に紫の上を叱っています。また、犬君が小道具を壊したことについて、光源氏は犬君を非難していますが、少納言の乳母は雛遊びは卒業しなさいと紫の上を諭しています。
雀の子を逃がした犬君
↑少納言の乳母「まったくいつもの粗相やさんが困ったことです」
雀の子が逃げて泣く紫の上
↑尼君「いつまでも子供らしくて困った方ね。雀の子を閉じ込めるのは罰当たりなことですよ」
雛遊びの小道具を壊した犬君
↑光源氏「本当にそそっかしい人ですね」
雛遊びの道具を直そうとする紫の上
↑少納言の乳母「雛遊びは卒業して大人になってください」
犬君に対する評価は「不注意者」であり、紫の上に対する評価は「いつまでも子供」であるということがわかります。犬君の行為は紫の上の幼さを強調する要因になっていると同時に、結果として紫の上の成長を願う大人の意向に沿ったものとなっているのです。
犬君に関する論文
犬君について考察している論文については「国立国会図書館オンライン」(https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/)を用いて検索を行いました。2020年2月現在、犬君に関する論文は3本存在します。
1) 三谷邦明. 犬君・源氏物語におけるマナー違反者. 児童心理. 2001, vol.55, no.13, p.100-105.
2) 蟹江希世子. 紫の上と犬君:物語解釈のコード. 解釈. 2002, vol.48, no.11・12, p.32-37.
3) 佐藤洋美. “犬君のゆくえ:『源氏物語』における女童をめぐって”. 古代中世文学論考 第35集, 新典社, 2017, p.169-190.
これらの論文の中では犬君について、「成女式前の紫上の分身」「幼い紫上が無意識的に潜在していた異質性を、一人の児童として造形化したのが、犬君」(三谷, 2001)、「紫の上のもう一つの一面、物語が要請する最高の美質とは正反対の一面を象徴する分身的な『童』」(蟹江, 2002)としており、犬君が紫の上のもう一つの側面を描き出す人物として語られています。
また、「『遊びがたき』として紫の上と『遊び』合いつつ、紫の上の成長を願う按察大納言家の人々の意志を体現する者」(佐藤, 2017)という評価もあります。
論文の中では、犬君の出生や名付けの由来、姿を消した犬君のその後の考察などもされていますので、興味のある方はぜひ読んでみることをおすすめします。
『あさきゆめみし』における犬君の描かれ方
『あさきゆめみし』とは大和和紀による『源氏物語』の漫画化作品です。ここでは『あさきゆめみし』における犬君の描かれ方をみていきます。
犬君が最初に描かれるのは「紅葉賀」の巻で雛遊びの小道具を壊した場面です。「若紫」の巻での雀の子を逃がした場面が最初ではないのかと思われる方もいるかと思いますが、あの場面では犬君は登場しません。
画像1からわかるように、『あさきゆめみし』において犬君は「犬」という文字が書かれた着物を着て登場します。紫の上がこの時10歳ですから、犬君もそれくらいの歳だと考えられます。『源氏物語』では「犬君」(という名)が登場するのは二回だけですが、『あさきゆめみし』においては所々に登場します。
画像2は「明石」の巻で、明石から京へ光源氏が戻ってきたことを伝える犬君が描かれています。「紅葉賀」の巻で、光源氏が18歳、紫の上が10歳であり、「明石」の巻で光源氏は28歳ですので、このとき紫の上や犬君は20歳となります。大人になった犬君ですが、 孫廂(まごびさし)をバタバタ走る様子は子供の頃と変わらない活発さを感じさせます。
画像3は「松風」の巻で、光源氏が御堂を見に行くことを口実に明石の君のもとへ通っていることを不満に思う紫の上が描かれています。文句をいう犬君たち女房に対して、人を貶めるのはよくないと諫める紫の上ですが、「女房たちにはわたしの気持ちがうつってしまうのだわ……」とあるように本心では悩んでいる様子がうかがえます。
犬君に関する論文では、犬君は紫の上のもう一つの側面を象徴する分身であるとされていたように、『あさきゆめみし』においても、犬君を含め女房たちが紫の上の「 最高の美質とは正反対の一面」を描く役割を果たしています。
画像4は「若菜 下」の巻で、病に倒れた紫の上が養生のために戻った二条院で子供の頃のことを回想する場面です。雀の子を見つけて犬君とはしゃいだことなど、何の苦悩もなく幸せだった昔を回想する中で、その懐かしさに、そして、無邪気に笑っていられたあの頃には戻れないことに涙する紫の上が描かれています。
犬君は 『あさきゆめみし:源氏物語:完全版6』(p.137)に登場したのが最後で、それ以降は描かれていません。これは「若菜 上」の巻にあたり、このとき紫の上と犬君は32歳です。「若菜 下」の時点で紫の上は39歳ですから、最後に犬君が登場してから二条院での紫の上の回想までに7年の時が流れています。
犬君が紫の上の手を引いて手の届かぬ所へ去っていくこの絵が意味するのは、二度と戻らぬ苦悩のない幸せな日々、そして、犬君との別れではないかと思います。さきほども述べたように、犬君が最後に登場した場面からこの回想までに7年の時が経っており、犬君が紫の上のもとを離れたかあるいは亡くなっていたとしてもおかしくはありません。10歳のころから20年以上一緒だった犬君がここにきて紫の上のもとを離れるとは考えにくいですから、亡くなったと考えるほうが自然です。
そして、紫の上はこの回想から4年後、43歳でその生涯を終えました。
『あさきゆめみし』における犬君の登場箇所
確認できただけで計14コマに犬君は登場します。該当箇所をまとめますので、興味のある方はぜひ確認してみてください。
1)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版2』p.70.
2)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版3』p.216-217.
3)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版4』p.178,194.
4)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版5』p.21.
5)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版6』p.137.
6)『あさきゆめみし:源氏物語:完全版7』p.95.
まとめ
今回は、『源氏物語』、論文、『あさきゆめみし』の3つから犬君を掘り下げることを試みました。犬君は『源氏物語』自体にはたった二回しか登場しません。これは、恐らく犬君が女房の一人として埋没していったためです。犬君の役割は、紫の上の幼さの強調、紫の上の成長を願う大人たちの意志の体現、紫の上の異なる一面を描き出すことの3つです。紫の上が成長するにつれ、犬君が犬君として登場することの必要性は失われていきます。
女房の一人として埋没していった犬君ですが、『あさきゆめみし』が描く源氏物語において、その後も彼女は確かに存在し、紫の上を支え続けました。悩みの種の多かった紫の上にとって、子供の頃から共に過ごしてきた犬君が傍にいてくれることがどれほど心の支えになっていたことでしょう。
ある論文には、犬君が物語に登場しなくなった後の世界についてこうあります。
犬君も見えない二条院での紫の上は光源氏だけを頼りとして生きていかなければならない。ゆくえも知れない犬君の存在は、紫の上の年少期の終わりとともに、苦悩に満ちた人生の始まりを明示しているのである。
佐藤洋美. “犬君のゆくえ:『源氏物語』における女童をめぐって”. 古代中世文学論考 第35集, 新典社, 2017, p.186.
確かに紫の上は苦悩に満ちた人生を歩むことになりますが、“姿を消した犬君”との“描かれなかった日常”もまた存在するのです。何より回想場面での紫の上の涙が、犬君と過ごした日々、そして犬君の存在の大きさを物語っています。
苦悩に満ちた人生を歩む紫の上を陰で支え続けた犬君の姿がそこにはあるのです。
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