さて、鈴鹿御前との別れから三年、彼女の予言通り俊宗に宣旨が下されました。
「陸奥の国の霧山ヶ岳に大嶽丸という鬼が現れた。こやつは我々を滅ぼし、日本を魔物の住みかにしようとしている。急ぎこれを討て。」
俊宗は大嶽丸との戦いに備えて葦毛の駿馬を用意していました。この馬に金覆輪の鞍を据えて、腰にソハヤノツルギを差しすぐに出発しました。
普通の馬では三十日はかかるであろう道を一日で駆け抜け、大嶽丸の砦に着きました。銅の塀が高く築かれ、銀の門は固く閉ざされているため、とても入れそうにありません。
鈴鹿御前は昼寝をしていましたが、俊宗がやってきた気配に目を覚まして女房達に言いました。
「田村殿がやってきたようですから中に通して差し上げなさい。」
中に招かれた俊宗は門をくぐり扉の前に来ました。扉には鈴鹿御前の字で和歌が書かれています。
【恋みても 人の心は 今日はまた 浮世に残る 形見なりけり】
この和歌を前にするなりいっそう昔のことが恋しく懐かしく思い起こされました。
鈴鹿御前は俊宗の姿を見ると涙ぐんで言いました。
「どうしてこの三年の間、鈴鹿の姫君の方へ訪ねるどころか、手紙さえお書きにならなかったのですか。私にも手紙の一つや二つぐらいはあっても良いのではないですか。進んで捕らわれの身になったとはいえ、私がどれほど悲しかったかお分かりですか。」
「このような鬼の住みかに人を遣ることは難しかったのだ。決して鈴鹿御前や姫君のことを疎かにしていたわけではなく、心の内ではいつも二人のことを考えていた。確かに姫君のもとへは忙しくて手紙も出せなかったが、姫君を恋しく思う気持ちに嘘偽りはない。どうかこのことを理解してほしい。そして、このような怪しいところにいち早く参上したのも、再び鈴鹿御前に会いたかったからだ。」
二人は再会に涙を流しながらこの三年間のことを語り合いました。
しばらくのあいだ昔話に花を咲かせたあと、話題は大嶽丸のことに移りました。
「それで、大嶽丸は今どのように。」
「一の魂はすでに抜いてありますから、たやすくお討ちになれるでしょう。普段は砦の上階にいますが、『素晴らしい会式をしようぞ。大唐の姫君、契丹の姫君の中から美しい者をさらってこよう』と言って砦を離れています。明日の未の刻にはここへ戻ってくるでしょう。」
「それならば今のうちに後世への話の種として大嶽丸が住むところを見てみたいものだ。」
俊宗がそう言ったので、鈴鹿御前は大嶽丸の住みかを案内しました。あるところには綾錦、隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌などの宝が整えて置いてあります。また、あるところには人骨が山積みになっており、それはそれはおぞましい光景でした。
さて、そうこうしているうちに大嶽丸が戻ってくる時刻になりました。二人はソハヤノツルギ・大通連・小通連・顕明連を四方に据え、神通の弓に弦を張り大嶽丸を待ち構えます。
しばらくすると、雲一つなかった空が急に暗くなりました。雷の音が絶え間なく鳴り響き雨風は激しくなってきました。
櫓の上に登って辺りを見回してみると、大唐の姫君かと思われる女性を連れた鬼の一行がやってくるのが遠くに見えました。大嶽丸と思われる鬼は光を放ち、剣を手にしています。
俊宗は言いました。
「あの光を放っている鬼が大嶽丸か。どれほど恐ろしい鬼なのかと思っていたが、普通の鬼と変わらないように見えるぞ。」
「あれは大嶽丸の仮の姿。本来の姿といったらそれはもうおぞましくて見るに堪えませんよ。大嶽丸がやってくるまで演奏でもして心を落ち着かせましょう。」
一方の大嶽丸は砦に到着して言いました。
「おかしいぞ、砦の中から人間の声がする。それにあの葦毛の馬は何だ。田村なる曲者がやってきたに違いない。」
大嶽丸は門のあたりに近く寄って耳を澄ませました。すると中から笛や琵琶の音が聞こえるではありませんか。
「おのれおのれ!このわしを前にして管弦の遊びとはいい度胸だ。そもそも、凡夫の分際でわしの元に来るなどおこがましい。許さんぞ、田村め。」
大嶽丸はすっかり激怒して大声でわめきたてたので、その音で門も塀も崩れ落ちて砦の中へと入ってきました。
大嶽丸の姿はというと、身の丈は四十五町、腰の幅は十二町、面は七十三、目は百八十、耳は二百六十にもなります。百八十もの目をぎょろぎょろ動かし、大地を揺らし、口からは五色の炎を噴き出しています。
「田村を捕らえてわしの前に連れてこい。」
大嶽丸が手下にそう命じたところ、俊宗は自ら大嶽丸の前に進み出て言いました。
「音にも聞け。今は目にも見よ。恥知らずの鬼どもめ。我こそは坂上田村丸俊宗である。御裳濯川の神聖な流れのごとく続く日本の朝廷で、政を執り行う我が君の宣旨を賜ってここにやってきた。何ゆえ狼藉をはたらくのか。お前たちの命を助けるのも助けないのも、私の意のままであるぞ。」
これを聞いた大嶽丸はあざ笑って言いました。
「日本にも王がいるのか。こんな小さな島国で何を王と定めているのだ。天竺にはわしの主であるさ大天や二人の王子、せんさい王、父鬼の王、五十王がいらっしゃる。天竺において、もん王の位に勝るものはない。また、唐には七帝がいるが、さて、取るに足らない貧弱な秋津国を領土とする者を王とは、誰が言うだろうか。こんな小さな島国で王を名乗るとは大げさなことよ。今まで命を奪わずにおいてやったからこそ、このようなことが言えるのだ。さあ、手始めに田村を木っ端微塵にして、目にもの見せてやろう。」
大嶽丸はそう言って、手下の鬼共とともに俊宗に襲いかかりました。
俊宗は剣に向かって言葉を投げかけました。
「外すでないぞ。」
すると、四方に据えられた剣が切っ先を揃えて鬼共に向かっていきました。
「これは堪らん。命があってこそ大嶽丸殿にも仕えることができるのだ。」
そう言って手下の鬼共は逃げ出しますが、大通連は左右に飛び回り、小通連は天高く上り空から切りかかります。そして、鬼共は一人残らず討ち取られました。
大嶽丸はただ一人になって、あちらこちらへ逃げ回りましたが、剣はしつこく追い回します。どこに逃げても切りつけられる一方で、七十三の面も百八十の目も潰され、二百六十の耳も切り落とされました。とうとう大嶽丸の首も切り落とされ天高く舞い上がりました。
ところが不思議なことに大嶽丸の首は地に落ちることなく空へ上がっていきます。首だけになった大嶽丸は言いました。
「情けないことだ。田村相手にこれほどまで不覚を取るとは。このままで終われない。一矢報いてやろう。」
鈴鹿御前はこれを聞きつけて俊宗に忠告しました。
「あの首は今に落ちてきて貴方に食らいつこうとするでしょう。怪我をなさらないでください。」
そう言って鎧三領、兜十枚を重ねて俊宗に着させました。
しばらくすると空から大嶽丸の首が落ちてきて俊宗の兜に食らいつき、がりがりと音を立てました。鈴鹿御前は顕明連を手に取り、大嶽丸の首を突き刺しとどめを刺しました。
俊宗は鬼共を焼き払った後、大嶽丸の首を持って都に上ろうとしました。鈴鹿御前と一緒に帰ることができるのを嬉しく思っていたところ、鈴鹿御前は言いました。
「一緒に小りんを育てて、これからも生きていきたいのはやまやまですが、私もこの地上では定命の者なのです。実は、鈴鹿山を守護する者の定めとして、私がこの世を去る月日は決まっています。下の果報の者は十二年と少し、中の果報の者は十六年と少し、上の果報を持つものは二十五年と定められており、私は上の者ですから二十五歳までの命なのです。そして、今年二十五歳を迎えます。来月の五日に無常の風に誘われて、たった一人で逝くのです。」
そう言って鈴鹿御前は涙を流しました。
「生を受けたものが死ぬのはこの世の定めですが、私達の情愛と夫妻の契りはまだ始まったばかりです。夫妻の縁は二世の契りと世間では言いますから、また一緒になれるでしょう。心配なのは小りんのことです。私がどうなろうとも、田村殿は鈴鹿を訪ねて姫君の成長を見守ることを約束してください。」
これを聞いた俊宗は言いました。
「鈴鹿御前との別れが近いと知りながら、どうして一人都へ行くことができようか。一緒に鈴鹿へ行って最期の時までそばで見守りたい。」
鈴鹿御前は涙を袖で拭い、首を横に振って言いました。
「山の動物から海の魚まで、生けるものは皆別れが惜しいものです。心を強く持ってください。出会いは別れの始まりであるというのは、田村殿も分かっていたことでしょう。そうむやみに嘆かないでください。あなたは天下の大将軍となるお方でしょう。大嶽丸の首を帝のお目にかけずして、鈴鹿へ来ることなど決してあってはなりません。まず、都へ行き、それから鈴鹿へいらしてください。私の最期をあなたがそばで見届けられるよう、待っていますから。」
そうして、鈴鹿御前は神通の牛車に乗って鈴鹿山へと去っていきました。俊宗は大嶽丸の首を持って急いで都へ向かうのでした。
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